学校の沿革
松本駅より上高地線で20分あまり、下島駅下車徒歩5分で本校に至る。校地は梓川河岸段丘上にあり、北方は安曇野を隔てて北アルプスの峰々を遠望し、東方は松本市街を見下ろして、さらに美ヶ原、鉢伏の高原を望むことができる。四囲は樹林多く静かで、勉学には最適の地である。
明治43年2月、梓・倭・安曇三村による組合立の乙種実業学校「南安南部農蚕学校」として創立、傍系として波田村に東筑摩西部農学校があった。その両校を昭和24年統合して長野県梓川高等学校となった。当初は農業科を主体で普通科、定時制には農村家庭科を併設した学校だったが、昭和39年定時制の募集を停止し、昭和55年農業科の廃止とともに、普通高校となり今日に至っている。長野県に19校ある地域高校のひとつである。 |